私のマグロ時代のお話を少し・・・
人生の最大の過渡期
私が専門学校を卒業する少し前に、父の会社が倒産しました。
父は、就職先の内定をもらっていた私に、生活を始めるための資金は工面するので家のことは気にせずに東京で生活するよう勧めてきました。
が、私には8つ下の妹(当時12歳)の妹がいました。
生活が激変した環境で多感な時期を一人で過ごす妹のことを想像したら、自分だけ東京でフレッシュな新生活なんて送れたもんじゃないと、帰郷し家族を支える道を選びました。
帰郷後の私は、家計を支えるために働き倒しました。「馬車馬のように働く」という言葉は、当時の私からきています(笑)
- アパレルのショップ店員
- ラブホテルスタッフ
- レストラン、ホテルのコック
- 映画館
- コンビニ掛け持ち
- 棚卸スタッフ
朝から夕方まで映画館、そのあとラブホとか、朝から昼までコンビニ、そのあとレストランとか、基本、アルバイト掛け持ちで寝過ごさないようにベットで座って仮眠を取りながらの毎日でした。
友達からも「ジーナは、まるでマグロだね」と、止まったら死んでしまう回遊魚扱いされ、なかなかつかまらない多忙キャラとして定着しておりました。
それでも私は辛くなかったんです。
父に似て働くことが好きな方でしたし、辛くならないように自分で興味のある分野の仕事を選んでお給料を貰っていたので、眠くて辛いと思うことは数えきれないほどありましたが、仕事がイヤだと思うことはあまりなかったように思います。