めげずに生きてます

自分アップデートの日々です。電源を切らないでください。

やりがいのある仕事に職種はあまり関係ないかもしれない

 

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どうせ働くなら面白そうな仕事をしてお金をもらいたい

が仕事のモットーだった私は

 

行きつけの、いつも忙しそうな「あのお店」で働いてみたいと思いました。

 

 

私はエスニック料理が大好きです。

 

 

 

当時は、爆発的なエスニック料理ブームだったと記憶しております。

 

流行は繰り返されるという言葉がありますが、エスニック料理もその後、2度ほど(ジーナの記憶調べ)流行りましたが、当時のそれよりは大きなブームにはならなかった感じがします。

 

ちなみに2016年にエスニック料理ではおなじみの、パクチーが脚光を浴び、日本のパクチー女子が鬼のようにパクチーを食べる姿は、タイ人にとって全く理解できない現象だったようです。

 私もパクチーは嫌いなので、あの現象が起こったとき、パクチーが好きな人がブームになるほどいたの?!という事実にまず驚きました。

 

ブームって面白いですよね。

 

 

オキニの店で働きたい(エスニック料理店)

 

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 「あのお店」は、当時ブームだったエスニック料理がおいしい繁盛店でした。

エスニック料理が好きになったきっかけも「あのお店」との出会いがあったからでしょう。

 

残念ながら、今はもう「あのお店」はありません。ブームが去るとともに閉店してしまいました。

「あのお店」は、エスニック料理店の魁といわれる、当時からも、そして今でも人気のお店に

monsoon-cafe.jp

 

よく似た雰囲気の活気のあるお店で、行く度に「待ち」は当たり前。

 

その待ってる時間にお店のスタッフの忙しそうに働く姿を見るのもまた面白かったんです。忙しそうだけど、なんだかみんな楽しそう♬

 

「あのお店」の店長と思われる人は

時にスタッフを厳しく叱り、時にスタッフの一言に「〇〇!お前、おもろいなぁ。その話、洗い場に行って聞かせてこい。アイツ、ヤラれてるからっ」 

 

忙しすぎて業務が滞ってるところを盛り上げてフォローしてきなさい

という意味なのだと思いますが、そんなやり取りをお客さんは笑いながら見て待ってるのです。

 

それは、お腹を空かせて待っているお客さんを楽しませるパフォーマンスでもあったのでしょう。

 

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扱うものがエスニック料理だったので、忙しそうに働くスタッフの活気がタイの賑やかなナイトマーケットの雰囲気を感じさせたのかもしれませんが、皆(待ってるお客さんまで)がイキイキとして見えました。

 

 

面白そう!と私のアンテナが反応しないワケがありません。

 

 

初めての経験!その場即決

 

 「あのお店」での面接も私にとっては、面白い出来事でした。

 

面接はもちろん、あのユニークな店長がしてくださいました。私が「ここで働きたい」という思いを熱心に語っているところを遮るように店長が突然、

「〇〇さん、失礼なこと言うかもしれないけど、眉毛の部分、メイク落ちてるよ」

 

 

さすが店長、いいタイミングでへんなことを言い出します(笑)

 

私はその当時、薄い眉のくせに眉毛を描かない方が自分の顔のバランスが良いと感じていたためにマユなしメイクをポリシーとしていました。

 

「あぁ、私、眉毛がジャマなので眉毛は描いてないんです」

 

当時、CMで柴咲コウさんが言ってた

「私、ファンデーション使ってないんです」みたいなトーンでサラリと言ったことが面白かったのでしょうか、店長は一瞬、私の顔をキョトン顔で見て大爆笑しました。

 

「面白いっ! はいっ採用です。明日から来れる?」

 

 

そもそも、不合格にするほど問題点がなかっただけ、なのかもしれませんが、

 

初めて経験したその場で合格は、私の中の認められた感がくすぐられ、そこでのこれからのバイト生活に対するワクワクがより一層増す出来事でした。

 

 

大学のサークルに入ったおばさん

 

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「あのお店」のバイト仲間は、ほぼ皆大学生でした。

当時の私は29歳。

「場違いだったかも?」と思うまで1か月くらいかかりました。

 

 

 

初日からモーレツな忙しさだったために、作業が滞らないよう流れに合わせること、余計な負担を周りにかけないことに夢中で毎日があっという間に過ぎていきました。

 

仲間は有名大学の学生たちでしたから、仕事の仕方がクレバーというか、頭で仕事してるような子たちだったので、普通の頭脳の私はハンパない集中力で必死についていっては、家で死んだように寝る日々、自分を振り返る余裕なんてありませんでした。

 

ダメ出しも何度もくらいました。 

・・・けっこう、くらいました。

 

フォローも数えきれないほどしてもらいました。

 

 

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でも、不思議と辞めたいとは思わなかったんですよね。

思うヒマもなかった(笑)というのもあります。

 

業務に関してスタッフ内で揉めても、絶対に皆、へんな雰囲気を引きずらないんです。

いつも帰りには、明るく「おつかれ~」と帰ることができる環境だったのです。

 

やはり、皆賢いから、気持ちの切り替えが早かったのもあるかもしれませんし、何より忙しすぎた後の達成感や、充実感で満たされたからかもしれません。

 

 

そう考えると、私はあのとき

大学生たちの部活かサークルに所属していたのかもしれません。

 

 

ママさんバレーのチームでは、あの雰囲気は試合中くらいしか維持できないだろうなぁ

 

今思うと、若者の中で気後れせずに必死こいてた自分に感動すら覚えます。

 

 

結局、「あのお店」では、6年ほど働きました。

 

そして、あの頃のバイト仲間は今でも

あの頃よりももっとおばさんになった私と遊んでくれます

 

 

頑張りを評価してくれる職場

 

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私が「あのお店」で6年間働くことができたのは、何よりも職場環境が良かったからだと思います。

 

やはり、大学生がメインだったので良い意味でのスタッフの入れ替わりが定期的にあることで風通しが良く、ユーモアと活気に溢れた雰囲気が代々引き継がれていったからだと思います。

 

その淀みのない空気を作っていたのが

あのオモシロ店長でしょう。

 

あの店長は、スタッフを指導するときはかなり厳しいです。お客さんから見えないところで泣いてる女子スタッフをたくさん見てきました。

 

でも店長は仰っていました。

「嫌われもいい、彼女達が社会に出たときに”あのとき言われたことはこのことか!”と気づく時が、いつかきっと来るはず、そのときに此処でのことを思い出してほしい。」

 

とても愛のある方でした。

 

そして、1人1人のスタッフをちゃんと見ている方でもありました。

 

私も入社して3か月後には

「ねえさん(と呼ばれていた)頑張ってるね。

時給上げるから、これからもよろしく!」

 

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やはり、自分の頑張りを評価して、即行動に表してくれると「見てくれてたんだ♬」と報われた気持ちになり、俄然ヤル気が出てくるものです。

 

辞める頃にはかなりの高時給をいただいてましたし、我ながら「あのお店」のスタッフとして立派に成長することができたと思います。

 

その後、私はいろいろな職場を経験するのですが、あのような環境やあのような上司には、お会いできていません。もう会うことはないような気がします。

 

 

 

面白そう!と入ったサークル(職場)でしたが、

 

やっぱり面白かった‼️

 

 

とても良い出会いだったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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