めげずに生きてます

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母が人工透析を受けるまで

 

 

母が人工透析を受けるようになって4か月になります。慢性腎不全です。

 

 

 

 

誤診を疑った1つ目の病院

 

症状が現れたのは、去年の11月。

 

「背筋がゾクゾクして、寒くて寝てられない」と言っていました。

 

きっと本人も私たち家族も風邪を引いたのだと思い、さして気にも留めていなかったのですが、次第に激しい頭痛を伴い始め、

 

寝たら治るだろうと、もともと片頭痛持ちだったので我慢しながら生活していたみたいです。後から発覚したことですが、血尿も出ていたようです。

 

寒気と頭痛が一向に良くならなかった3日後に、掛かり付けの小さな病院に診てもらいに行って即、近くの大きな病院の泌尿器科に入院。

 

「急性腎盂腎炎」(細菌、主に大腸菌が膀胱に侵入し、腎臓に感染する病気)と診断されました。

 

入院から一週間経っても病状は良くならず、見舞いに行っても「頭が痛い、だるい」としか言わずに苦しんでいる母を見て、担当の看護師さんに問い合わせてみるも「やれることは精一杯やっておりますっ!」と苛立ち気味の返答しか返ってきませんでした。

 

その2日後、父が病院から連絡を受けて向かうと、この病院では対応できないので近くの腎臓内科がある病院へ転院させたいとのこと

 

 

 

 

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「やはり誤診だったのでは・・・」

 

家族皆、それぞれが心の中で思っていました。

 

あの看護師さんの過剰な反応を思い出すと病院側でも混乱していたのかもしれません。

 

 

 

 

 

短期間で変わる病名

 

転院先の病院で受けた診断は「急性腎不全」

もっと細かく言うと「糸球体腎炎」、自己免疫疾患によって引き起こされた腎臓病でした。

 

自己免疫疾患とは、

本来、自分自身の身体を守る働きをするべき免疫が、なぜか自分自身の細胞や臓器を攻撃する病気です。

 

膠原病や円形脱毛症も自己免疫疾患で原因が未だ解明されていない難病が多いそうです。

 

母の病気も先生からズバリ「難病です」と告げられました。

 

 

 

 

 

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腎不全とはいえ、母の場合、かなり急激に腎機能が低下したので治療次第では機能回復の可能性があると、転院した次の日から血漿交換という治療が始まりました。

 

血漿交換とは、特殊な治療法のようで先生曰く、

「母の血液を一度体外に取り出し、悪い部分を捨て、献血でもらった血液の良い部分をもらって体に戻す治療」と仰ってました。

 

私は20代の頃、献血をしに行って「あなたの血は薄いのでもらえません」と断られたことがあり、それきり献血のことを考えたこともなかったのですが、

 

「献血をしてくれた皆さん、本当にありがとう!!」と心から感謝しました。

 

www.gov-online.go.jp

 

血漿交換治療は、一週間(4回)でしたが、結果的に母の腎機能は回復せず、

「慢性腎不全」に変わり、透析生活を余儀なくされました。

 

 

 

 

受け入れるしかないこと

 

 

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初めに入院したあの病院の、あの一週間は何だったのか・・・という思いは拭えませんが、

 

転院した先の専門分野である先生ですら、あまり症例がないケースと仰ってただけに、私たちの質問にどう答えたらいいか・・・という表情や言い回しをすることが多かったように思います。

 

何がダメだったのでしょうか?という私の問いに

「事故にあったと思うしかないでしょう・・・」

 

医学を学んでいない私たちは何も言えませんでした。

 

正直、それまで人工透析とはどんなものなのかすら知ることも、考えることもなかったので、先のことを考え出せば不安しか生まれない、かなり絶望的な気持ちになりました。

 

特に母も昔の人なので、今後、生涯透析を受けなければならないという現実にかなりショックを受けたことと思います。

 

ですが、現代の透析医療は進化していて、会社に勤めながら透析をしている人や、海外旅行にだって行ける時代です。

 

まずは母が生きていることに感謝し

 

 

 

 

とにかく受け止めるしかないと、思うしかない

突然の出来事でした。